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乃木神社では毎年、管絃祭が行われています。
管絃祭とは、たぶん神様の前で雅楽と舞を披露する行事なんでしょう。
去年はKzOに連れられていきましたが、今年もKzOと一緒に行きました(笑)
→去年の様子・感想はこちらから。
18時~20時ということで、仕事を切り上げて足早に乃木神社へ向かいました。
会社からは早足で歩いて10分くらいだったので、何とか間に合ってよかったです。
ということで、恐らく来年(10/14/Tuesday)もいくかもしれません(笑)
去年は色々感想を書いていますね。
初めて目の前で聴いたので、色々刺激されたのでしょう。
今回は2回目だったので、ゆっくりと楽しむことができたのかなと思います。
とはいえ、感想として今回思ったのは、「間」ということ。
雅楽の演奏が止まって、舞だけになった時の、あの静寂の「間」に鳥肌が立ちました。
KzOとは以前から話していることだけれども、
音の空白というか、「間」というか、そういったものがあるんですよね。
このあたりの言語化はとても難しいので、とりあえずこのくらいにしておきます(笑)
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無題
「間」ですか…。かなりハマっちゃった?
俺は個人的に新発見なるものはなかったけど、CDに入っていない曲が演奏されてたのは良かったかな。後やはり雅楽っていうのは伝統文化なんだと、ポップスとは違う時間の流れ方があるんですよ。音楽としての接し方もポップスと同じ様にいかなくて、やはり現在の解釈っていうものが自分には必要な気がしました。
俺は個人的に新発見なるものはなかったけど、CDに入っていない曲が演奏されてたのは良かったかな。後やはり雅楽っていうのは伝統文化なんだと、ポップスとは違う時間の流れ方があるんですよ。音楽としての接し方もポップスと同じ様にいかなくて、やはり現在の解釈っていうものが自分には必要な気がしました。
無題
確かに今雅楽を当時の雅楽のまま捉えるのはどうしたって難しいね。
「現在の解釈」というよりこれは「僕の解釈」ということになるんだろうけど、今回僕の楽しみ方としては、他の音楽と比較してあまり存在しない「間」というものに魅力を感じているわけで、その静寂の「間」に聞こえる虫の声や風の音みたいなところに何かを感じるんだよね。時代という大きな流れの中での解釈の仕方もあるだろうけど、現在に生きる自分の解釈としてはこんなところか。
また書いていて良く分からなくなってきたので、今度考えを整理して話すよ(笑)
「現在の解釈」というよりこれは「僕の解釈」ということになるんだろうけど、今回僕の楽しみ方としては、他の音楽と比較してあまり存在しない「間」というものに魅力を感じているわけで、その静寂の「間」に聞こえる虫の声や風の音みたいなところに何かを感じるんだよね。時代という大きな流れの中での解釈の仕方もあるだろうけど、現在に生きる自分の解釈としてはこんなところか。
また書いていて良く分からなくなってきたので、今度考えを整理して話すよ(笑)
無題
>「間」に聞こえる虫の声や風の音みたいなところに何かを感じる
ここまでkozuhikoも進化すると恐ろしいわ!!
でもこれ明らかに時代と逆行してるんだよね。津田沼の街を歩いていたって間なんて何処にも無いしさ。実際音楽も周りの騒音をかき消す様にi podで聞かれてる訳でね。やはり「間」をポップに活かす為にはって考えちゃうね。
ここまでkozuhikoも進化すると恐ろしいわ!!
でもこれ明らかに時代と逆行してるんだよね。津田沼の街を歩いていたって間なんて何処にも無いしさ。実際音楽も周りの騒音をかき消す様にi podで聞かれてる訳でね。やはり「間」をポップに活かす為にはって考えちゃうね。
無題
ちょっと話は広がりすぎるかもしれないけど、今のところ「間」は「ま」と読んでいるけどこれは「あいだ」と読むこともできる。そして、この「間」というのは、人の人の間という物理的関係性を見出すこともできるし、音と音の間という時間的関係性をも見出すことができる。
イヤホンで音楽を聴くということに留まるなら、物理的環境は考えることはあまりできない。でも、ライヴな場であれば、「間」ということに関して物理的・時間的な概念として考えることができるわけ。今回の管弦祭は、「間」について神社という物理的な場で、時間的な把握も可能だったということですね。ポップでもライブであれば、「間」を考えることはできるかもね。
やはり、最近のKzOが言っているようにライヴが重要になってくるということではないかな??
イヤホンで音楽を聴くということに留まるなら、物理的環境は考えることはあまりできない。でも、ライヴな場であれば、「間」ということに関して物理的・時間的な概念として考えることができるわけ。今回の管弦祭は、「間」について神社という物理的な場で、時間的な把握も可能だったということですね。ポップでもライブであれば、「間」を考えることはできるかもね。
やはり、最近のKzOが言っているようにライヴが重要になってくるということではないかな??
無題
kozuhiko間の概念もここに極まれり。
成る程成る程。
ライブな場ですよねぇ。これが実際難儀じゃ。
「間」とか「沈黙」とかっていうのはね、刺激的な要素以上に緊張を強いる事もある訳。谷川俊太郎が「沈黙は限りないエネルギー」と言っていたけど、これは良い方に作用する事もあれば悪い方にもあり得るんだよね。人と人が同じ空間にいても沈黙してたりすると酷く疲れたりするでしょう(笑)それを表現に用いる場合もやはり似た様な現象が起こるよね。
現実的に何処まで「間」を許容出来るかなんてライブやらなきゃわからないけどさ、それを産み出す過程ってのはやはり容易じゃないね。この話難しいわ。
成る程成る程。
ライブな場ですよねぇ。これが実際難儀じゃ。
「間」とか「沈黙」とかっていうのはね、刺激的な要素以上に緊張を強いる事もある訳。谷川俊太郎が「沈黙は限りないエネルギー」と言っていたけど、これは良い方に作用する事もあれば悪い方にもあり得るんだよね。人と人が同じ空間にいても沈黙してたりすると酷く疲れたりするでしょう(笑)それを表現に用いる場合もやはり似た様な現象が起こるよね。
現実的に何処まで「間」を許容出来るかなんてライブやらなきゃわからないけどさ、それを産み出す過程ってのはやはり容易じゃないね。この話難しいわ。
無題
> 人と人が同じ空間にいても沈黙してたりすると酷く疲れたりするでしょう(笑)
ずいぶんとリアルな話をしますな(苦笑)
まぁ、確かに「間」の取り方っていうのはとても難しいもので、人によってその感覚が異なるからね。KzOが出した(時間的な間)のと違う例で言えば、物理的な間で「ここまでは入るな!」という距離感ってあるよね。人によっては、かなり近くよってくる人もいれば、ある程度の距離をとったりする。その「間」を越えるととても不愉快な気分になったりする(笑)
人によって異なる感覚のものを、不特定多数に味わってもらうということは結構危険かもしれないなぁ。。。
ってか、さすがに「間」について延々と語っていると疲れてくるな。
そろそろ止めにしようか(笑)
ずいぶんとリアルな話をしますな(苦笑)
まぁ、確かに「間」の取り方っていうのはとても難しいもので、人によってその感覚が異なるからね。KzOが出した(時間的な間)のと違う例で言えば、物理的な間で「ここまでは入るな!」という距離感ってあるよね。人によっては、かなり近くよってくる人もいれば、ある程度の距離をとったりする。その「間」を越えるととても不愉快な気分になったりする(笑)
人によって異なる感覚のものを、不特定多数に味わってもらうということは結構危険かもしれないなぁ。。。
ってか、さすがに「間」について延々と語っていると疲れてくるな。
そろそろ止めにしようか(笑)
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